名取・亘理支部「名取熊野三社について」


 紀伊(和歌山県)にある熊野神社は、それぞれ独立しており、熊野三山と言われ、全国に3135社がある熊野信仰布教の中心で有ります。
 全国で熊野三山のようにそれぞれが独立した神社になっているのは、名取市高舘にある熊野神社だけであり、名取熊野三社と言われ、熊野速玉大社のある新宮市と、名取市は姉妹都市となっています。

 熊野本宮社は、保安4年(平安時代・1123年)又は保安元年(1120年)名取老女が熊野本宮大社を勧請し、熊野本宮社となる。
 祭神は家津御子神であり作物の神様です。
 山形県の屋代郷(高畠町)から、山伏修験者により伝えられたと言われる鹿踊りは、衣装や芸態は山袴を身につけ、獅子頭の口が開いてそれで拍子をとる、旧仙台藩の鹿踊りの中でも独特なものとされています。

 熊野神社(旧熊野新宮社)は、黒川郡以北に赤い雪が2寸(6cm)程降ったので、天候異変による不作を免れるため、天平14年(奈良時代・742年)稲田社が造営されたが、保安4年名取老女により熊野速玉大社を勧請し熊野新宮社となる。
 祭神は速玉の神で作物の神様です。
 京都の神楽岡から伝わったとされる神楽(13の舞と番外巫女の舞)、山寺の立石寺の林家系統が伝わったとされる舞楽(5つの舞)が有り、春と秋の例祭で奉納されています。(舞楽は春のみ)

 熊野那智神社は、養老3年(奈良時代・719年)広浦(閖上)の漁師治兵衛が漁で引き上げた観世音菩薩像を、高舘山頂に那智(羽黒)飛龍権現として祀っていたが、名取老女が保安4年那智の分霊を合祀して熊野那智神社となる。そのため閖上の方にお浜降り神事として神輿渡御をやっており、平成10年8月で中止していたが、令和元年5月に閖上まちびらき時に行われました。
 祭神は熊野夫須美神であり縁結びの神様です。
 明治31年に社殿を建て替えた時に、地中から縣仏と銅鏡が見つかり(明治になり神仏分離になり地中に隠していたと思われます。)その内41点が国指定、114点が県指定の重要美術工芸品になっています。

板橋 正春