地震と共に発生する災害は、津波・家屋の倒壊・火災・のり面の崩壊による道路の寸断や河川の堰き止め・ライフラインの寸断・鉄道の脱線・人災等被害は計り知れない。地震の発生を止めることはできないので人間がどこまで耐えられるような施策を講じるかに尽きると思われる。
宮城県影響を及ぼした過去の主な地震は、西暦700年頃に仙台沿岸に高さ30mに及ぶ巨大津波が押し寄せ仙台郡山官衙遺跡が被災したとのこと。その後、貞観津波(貞観11年「869年」5月26日)は、海岸で推定6mの高さで津波が押し寄せ、内陸4kmに達し、4千人の死亡者が出たとのこと。慶長巨大津波(慶長16年「1611」10月28日)は、陸奥に大津波が発生、伊達政宗は、「津」湊に大きな「波」が押し寄せ、1,783人が死亡したと江戸幕府に報告したことからその後に「津波(つなみ)」と命名されるようになった。この「津波」という言葉は、日本国内はもとより世界中に知れ渡ることとなった。その後も、延宝津波(延宝4年「1676」10月)・元禄津波(元禄9年「1696」11月1日)・寛政三陸津波(寛政5年「1793」1月7日)明治三陸巨大津波(明治29年「1896」6月15日)では死者が25,360人にも及んだ。昭和三陸津波(昭和8年「1933」3月3日)では女川町清水が壊滅し、蒲生にも津波が押し寄せ、死者が2,995人に及んだ。
最近ではチリ地震による津波(昭和35年「1960」5月23日)が地球の反対側から押し寄せ、三陸沿岸で高さ6mに達し、142人が死亡する。また東日本大震災(平成23年「2011」3月11日)では、国内史上最大で世界第3位の巨大地震による津波が発生し、死者・行方不明者も数万人となり、多くの家屋や漁船・車が流された。
貞観津波(869年)から東日本大震災(2011年)まで、1142年間で大地震が21回に及び、54年に一回は大きな地震に遭遇していることになる。過去に多くの犠牲や被害が発生しているにも関わらず一向に被害の減少が見られないのはなぜか。
報道によると海岸近くに居住しているお年寄りの皆さんは、「今まで自分の家までは津波が来たことがない。」、「来ても玄関先までであり、避難はしない。」と頑なに断ったこととのこと。これは、巨大津波が100年単位で押し寄せることから、生存している年寄りの方々は、経験されたことがないことから理解されていないと思われる。沿岸地域に住まいの皆さんは、地震による津波は明日来るかもしれないと危機意識を持つことが重要である。 〈大地震が発生したら、速やかに高台へ避難することが鉄則である。〉
副会長 武地 哲三