雑記帳第20回「オリンピック雑感」


 「TOKYO 2020オリンピック」の各競技が、8月8日までの日程で盛んに行われています。2020と銘打ってはいても実際には2021です。2020が2021になった経緯については、既に周知のところです。いろいろな紆余曲折を経て、ようやく開催に漕ぎ着けました。この開催の適否については国民の間でも様々な意見がありましたが、それだけにJOCをはじめ関係者のご苦労は並大抵のことではなかったと思います。
 わが国におけるオリンピックの歴史は、昭和15年の「幻の東京オリンピック」を別にすれば、今から57年前、昭和39年の東京大会が最初です。私が中学3年生の時でした。一生の間に2度も自国でのオリンピック開催を経験できるのは、かなり幸運の部類に属することでしょう。この時の聖火も全国津々浦々を巡りましたが、私の記憶では学校近くのリレー走者が通る道路沿いに全校生徒が勢ぞろいして日の丸の小旗を打ち振り、地域の老若男女こぞっての熱狂的な盛り上がりでした。それに比べると今回の聖火リレーはなんとも寂しいものでした。本当に開催されるのかどうか確信が持てない状況では、気合が入らないのも蓋し当然かもしれません。
 前回の東京オリンピックは、競技全般でわが国選手がめざましい活躍を見せたのみならず、この世界的イベントの大成功を契機として、わが国の社会は大きく変わりました。一中学生の目から見ても、その変貌ぶりは明らかでした。今回も良い意味での変化が大いに期待されました。その物理的基盤は十分整備されたはずなのですが、大部分が無観客での競技というようないかにもおっかなびっくりの大会運営では、残念ながらそうした効果は望めそうもありません。
 このコロナ禍が始まったときから、「アフターコロナ」という表現が願望も込めた一種のスローガンとして頻繁に使われるようになりました。しかし、現状からすれば、「ウィズコロナ」で物事を考えていく方が現実的な対応のようです。そういう社会をいかに乗り越えていくのか、まさに国民皆で知恵を絞っていく必要があるように思うのです。具体的には、このコロナ禍を通して露わになったわが国の脆弱性、つまり、防疫・検疫体制、医療体制、医薬品研究・開発体制、そして危機管理法制などを総ざらいし、国民各界各層がしっかりとそれらの見直しに取り組んでいけば、このたびの忌まわしい経験もあながちマイナスだけとは言えません。まあそんな偉そうなことを言いながら、じゃあお前はどうすると問われると途端に声が小さくなります。せめてコロナに罹って人様に迷惑をかけることのないよう、十分気を付けていかねばと思っています。

会長  小 林 伸 一 記