雑記帳第29回「 秘かな期待 」


 毎年桜が咲き始める時期になると、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という一文が頭をよぎります。古代唐時代の詩人劉希夷の手になる人生の無常を謳った漢詩の一片です。全く同じ趣旨のことをわが国では鴨長明がその著作「方丈記」の冒頭で、「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」と高名な文章で記しています。

 現職時代、4月の人事異動を挟んでその前後に送別会、歓迎会が行われる際に挨拶を求められたときは、この「年年歳歳・・・」を引用して、一期一会の出会いを大切にして仕事をして行きたいと、自らの決意なりあるべき組織の姿についての思いをよく述べたものです。退職して十余年、古希をとうに超え、人生の有為転変の激しさ、また、そうであるが故の一日一日の大切さをますます強く感じるようになってきました。

 若いころは世の中の動きをなかなか実感できず、今まで過ごしてきた社会とか環境とかが大よそこのまま続いていくのだろうと漠然と思いがちですが、年を経るにつれて世の中どう転ぶかわからないことに思い至ります。これを公務員の給与という卑近な例で敷衍してみます。私が県庁に採用されたのは昭和48年、いわゆる高度経済成長時代の末期で、物価が激しく上昇していたものの、その年のベアも約30%という高率で、年末には驚くほど多くの「差額」をもらったことを鮮明に記憶しています。ところがその後、2度のオイルショックを経て低成長時代に突入、ベアは良くて2~3%、年によってはコンマ以下、ひどいときはマイナスという状態に陥り、経済情勢の急激な落ち込みを思い知らされました。

 こうして、ここ30年近くわが国経済の混迷が続く中で、昨年あたりから原油価格の高騰を契機として世界各国で物価が上昇しており、わが国でもモノによっては年率換算二桁にも及ぶ近年にない上昇率を示しています。この現象は、コストプッシュ型インフレといわれるもので、社会全体の供給が需要に追い付かないことによって生じる本来のインフレとは性質を異にするものですが、それにしても今年の春闘においてはこの物価上昇に配慮してか主要大手企業の回答が軒並み組合要求通りという珍しい事態が現出しています。もし、これがきっかけとなって、可処分所得の増大⇒消費の拡大⇒GDPの上昇という景気の好循環につながっていけば、「瓢箪から駒」ともいうべき僥倖です。国の将来のためには何とかそうなってほしいという期待を秘かに、しかし心底から抱かざるを得ないのです。

会長 小 林 伸 一