名取・亘理支部「名取熊野三社勧請900年」


 仙台湾を熊野灘、高舘丘陵を熊野連山、名取川を熊野川に見立てた地に、名取老女が保安4年(1123年)(保安元年説もあり)熊野三社(熊野神社)を勧請してから今年で900年になります。

 熊野本宮社は、十二社権現社とも言われていましたが、主祭神は家津御子の神で作物の神と言われています。

 永禄6年(1563年)伊達晴宗公から、神輿や御神馬と馬具1式を頂いています。 米沢の屋代郷から、山伏により伝えられたと言う十二神鹿踊りは、名取市の無形民俗文化財になっています。

 熊野新宮社(今は熊野神社)は、主祭神は速玉の神で作物の神と言われています。以前あった天候異変から不作を免れるため、天平14年(742年)稲田社が造営されていました。

 奥の院には、中央に証誠殿、向って右側に那智飛龍権現社、左側に十二社権現社があり、三棟とも県の有形文化財に指定されています。西隣には、三社勧請に関わる名取老女の宮があります。    神楽は京都から伝わった出雲の流れをくむもので、周辺の神楽の元祖と言われています。山形立石寺の林家系統から伝わったとされる舞楽もあり、いずれも、県指定の無形民俗文化財になっています。      

 文治5年(1189年)源頼朝が、奥羽東征の戦勝祈願をし、勝利した帰途、手植えした高野槇(今は空洞が見つかり切り株のみ)や、その時に腰かけたと言われる石があります。

 熊野那智神社は、養老3年(719年)広浦(今の閖上)に漁師 治兵衛が網で引き上げた御神体を家に安置していましたが、ある夜、御神体が光を放ちその方向が高舘山であったため、そこに宮社を建て那智飛龍権現社として祀っていました。祭神は、熊野夫須美神で縁結びの神と言われています。所蔵する懸仏と銅鏡は、41点が国指定、114点が県指定になっています。