雑記帳第41回「春爛漫」


 いよいよ春爛漫の4月になりました。春と言えば桜です。もともとわが国では奈良時代までは節句等の儀式において桃や梅を愛でる風習があったようですが、平安時代に入ると、例えば古今和歌集で桜を詠んだ歌が数多く見られるように、公家社会を超えて桜を愛でる文化が一般化したことが窺われます。江戸時代以降は、堤防の地固めをするために土手に桜を植えて多くの花見客を歩かせることが奨励されたこともあって、日本各地に桜の名所が生まれました。宮城県で言えば白石川両岸の桜並木が今や全国的に有名ですが、東京では隅田川両岸の桜並木が江戸の昔から庶民の一大行楽地でした。

 ところで、平安末期に生きた西行法師は、「桜狂い」と言ってよいほどの桜好きで、例の「願わくは」で始まる高名な一首は、満開の桜木の下で満月を眺めながら死にたいなぁという、いわば辞世の歌とも言え、後年実際に本人の希望どおり2月16日に亡くなっています。また、西行の別な一首に、<吉野山 こずゑの花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき>という歌があります。これを私流に解釈すると、吉野山の桜を一目見てからというもの、その美しさにすっかり心を奪われて、わが身をどう処せばよいのか分からない、といった意味でしょうか。

 吉野山は、古来修験道の修行地近くに位置する山として、開祖の役行者やその信者によって全山くまなく延々と桜が植えられてきた歴史があり、桜=吉野山というイメージが広く定着しています。今でも時期になると山のふもとから山奥まで徐々に開花が進み、約1か月にわたって桜が見られる山として、花見時には全国から観光客が訪れます。私もずっと前から一度は吉野の桜を見たいという願望を抱いてきたのですが、今年こそは実現したいと思っています。

 以下は余談です。旧陸軍の軍歌に「歩兵の本領」という歌があります。10番まである長いものですが、1番の出だしは「万朶の桜か 襟の色 花は吉野に 嵐吹く」という歌詞で歌われます。ここで「襟の色」というのは、軍服の襟章の色のことで、この歌は歩兵の活動を描いたものですからいわゆる緋色を意味しています。これはかなり鮮やかな赤であって桜色とはだいぶ色合いが違うはずなのですが、まあ桜も万朶(満開)の木々を遠くから見ればいくらか赤っぽく見えることを強調しているのかもしれません。それはさておき、ここの歌詞は、最初につくられたときは「花は隅田に嵐吹く」だったのです。つまり、原曲では隅田だったのがいつの間にか吉野に変わってしまいました。軍の将兵は東京のみならず全国から集まりますので、桜ならやはり吉野というイメージが古くから共有されていて、自然に吉野に落ち着いたのでしょう。

会長 小林 伸一