
雑記帳第44回「日本人の風上にも置けない!」
私がこどもだったころ、毎週日曜日朝のテレビで放映される「時事放談」という番組がありました。父がこの番組をよく見ていましたので、私も見るとはなしに見ていました。政治評論家の細川隆元さんと小浜利得さんの掛け合いの中で、わが国の政治、経済、社会のもろもろの動きに対して辛口な論評を加えるもので、時として乱暴なというか小気味の良い表現でそれらを一刀両断する展開が、子供心にも大変面白く感じたことを覚えています。学生時代以降はあまり見ることもなくなりましたが、この一文を書くに当たって改めて調べたところ、昭和32年7月から約30年間も続いた長寿番組であることを知り、今更ながら驚いています。
昨年来ほぼ1年にわたりずっと腹に据えかねることがありましたので、全くの個人的感想として、この場をお借りして時事放談風に勝手なことを書きたいと思います。私の怒りは、いうまでもなく時の総理大臣の「居座り」です。国政選挙で大敗すれば、その党のトップは職を辞することが当然であり、これこそがいわゆる「憲政の常道」、民主政治の1丁目1番地です。ましてや昨年10月の衆院選、今年6月の国政選挙並みの東京都議選、そして7月の参院選において3回連続で大敗を喫した自民党の総裁としては、「当然」を100遍繰り返しても足りないくらい当然に辞めなければなりません。仮に党が負けたことに党首自身の責任がないとしても、やはり組織のトップとして文句なく責任を負わなければならないのです。それが日本文化の粋である「潔さ」、つまり引き際の美学なのです。
口では「総理の座に恋々とするものではない」とは言うものの、恋々としているからこそわが国の政治にかくも取り返しのつかない混乱と空白を招いたのです。歴代の自民党総裁は、その政治手腕の有無、施政の適否の如何にかかわらず、ともかく選挙に負ければ職を辞するという常識だけはきちんと持ち合わせていました。そうした最小限のモラルすらどこかに置き忘れ、その場しのぎの続投理由を並べ立てて権力の座にしがみつこうとする姿勢は、到底日本人の風上にも置けません。まさに万死に値すると言ってよいでしょう。私が今回の一連の総理の動きで一番懸念するのは、世の常識に反することを強引に押し通し、結果としてほぼ1年にもわたり総理の座に居座わり続けることができたという事実です。この事実がこれからの日本人の倫理観に多大な悪影響を及ぼしかねないということが誠に心配です。
これを書いている時点では自民党の新総裁に誰が就任するのかは分かりません。新総裁の政治的主張云々はこの場で取り上げるべきテーマではありませんが、日本の文化を背負い日本人らしい生き方を体現するような、真に国民のリーダーに相応しい人物であってほしいとひたすら願わずにはいられません。
会長 小林 伸一