「生涯健康脳をめざして」
令和8年10月22日
東北大学加齢医学研究所 瀧靖之教授

本日は勾当台クラブ設立 60 周年記念式典にお招きいただき、誠にありがとうございます。
今日は私たちの脳をいかに健康に保って、将来の認知症リスクを下げるかということについてお話をいたします。いま本やいろいろなメディアでいろいろなことが言われてますけど、それらのエビデンスレベルがどれだけ高いかというと、正しいものも正しくないものもあります。今日はそこらへんをできるだけ分かりやすくお話したいと思います。私は東北大学の加齢医学研究所で教授をしながら大学病院での仕事もやって、あとは大学発のスタートアップ企業をいかに起こすかというのも大事な仕事になってます。研究、臨床、教育、そしてスタートアップの会社の立ち上げまで私たちの役目です。
それでは内容に入りますが、認知症というのがどれだけ大変なことなのかと言うと、人の寿命でも平均寿命と健康寿命つまり一人で自立した生活を送れる期間との間に約 10 年の差があります。しかも認知症というのは医療費とか介護費、さらに家族が介護などによって失われる時間の金銭的価値を全部合わせると、1年間で約 17 兆円の損失になります。これに立ち向かうため、私たち東北大学では脳の画像とか生活習慣、認知機能、判断力、遺伝子まで様々なデータを集めて、脳はどうやって加齢をしてくのか、何をすることが脳の加齢を抑える上で重要なのかということを研究しています。
具体的なお話に入っていきます。40 代 から 70 代までの健康な方の脳の輪切りの写真を見ると分かるように、年齢が上がれば上がるほど脳の隙間が増えてきています。つまり、私たちはどれだけ健康であっても脳は萎縮していくということで、これはもう致し方ないのです。では問題は何かと言うと、同じ年齢でも結構脳が詰まっている方とスカスカになって萎縮してる方がいます。一体なぜこんな違いが起きるのかということです。
まずアルコールは少量なら良いとかいろいろ言われるんですけど、生物学的にはやはり良くありません。特に酒を飲むと気持ちが悪くなるようなお酒に弱い方には良くないです。お酒に強い方でもほどほど程度にです。スモーカーもいらっしゃるかもしれませんが、これはもう医学的には喫煙というのは全ての臓器に悪影響を及ぼすと言われています。飲酒喫煙の他には、例えば肥満も良くないです。ただ、女性に多い体脂肪型の肥満はあんまり影響ないんですが、男性に多い内臓脂肪型の肥満はどうしても体の中に炎症をたくさん起こしてしまいます。従って、できるだけそれを防ぐ方向に行くのが重要です。結局、本質は何かと言うと動脈硬化なんです。血圧も血糖値も中性脂肪もコレステロ―ルも全部正常という方は殆どいらっしゃらないわけで、それらをいかにコントロールするかというのが大事になります。ですから、脳の健康を保つ上では動脈硬化をできるだけコントロールする、これが大事なことです。
もう1つがうつ病なのです。実はうつ病というのは将来の認知症のリスクを高めるということが分かっています。ただ、うつ病は薬でかなりコントロールできます。コントロールするということが非常に重要です。まあ今日は短い時間ですからできるだけ簡単に話しますけど、動脈硬化とうつが脳の健康維持に良くないとしても、おそらく皆様一番興味があるのは、では何をしたら良いのかというところだと思いますので、ここを分かりやすくお話をします。
1番大事なことは、やはり運動です。もう運動に適うものはありません。私たちの脳の中に海馬と呼ばれる記憶にかかる領域がありますが、運動することでこの海馬の機能をより高めることができます。また運動は単に脳に良いだけでなくて、実はストレスも抑えてくれます。仕事とか家庭とかで感じるいろいろなストレスは運動することでかなり抑えられます。私も日々かなり運動をしています。ではどういう運動が良いのかですが、まず理想的には息が弾む程度の運動を週に 2、3 回、これを習慣化することが 1 番です。ただ、普段運動していない方が急に運動すると、やはり心臓や肺や関節に非常に負担がかかります。そういう時どうするかというと、1つは筋トレです。椅子に座ってできるような筋トレでも軽いスクワットでも何でも結構です。脳に非常に良いだけでなく、いわゆるサルコペニアやフレイル、つまり筋力が落ちることによって活動が下がる、こういう状態を防ぐことができます。筋トレもうどうしても嫌だという方は、非常に軽い運動、例えばちょっとだけ早歩きをするとか、1 階だけ階段で登るとか、生活の中に軽い運動をちょっと入れるだけでも全然違うということが言われてます。下りは転倒のリスクとかありますので、上りだけでも 1 階分だけでも階段を使う、そういうのがすごく良いです。運動は間違いなくエビデンスレベルが 1番高いのです。
では、運動以外に何かあるかというと、何か趣味を持つのも非常に良いと言われてます。趣味を持つことはなぜ脳に良いのかというと、頭を使うことで脳の変化する力、可塑性を高めるということが分かってます。どんなことでもみんなで趣味活動をするというのは非常に良いです。好奇心を持って趣味活動や好きなことを行うと記憶力が高まるということが分かっています。趣味といってもいろいろなものが世の中ありますが、より良いと言われる趣味はやはり能動的な趣味です。例えばスポーツ観戦は勿論良いですが、スポーツ観戦よりは自分が運動するのが1番です。あるいは音楽鑑賞もすごく良いです。でも、もっと良いのは楽器を弾く、あるいは料理とか旅行とか囲碁、将棋、麻雀、とにかく自分自身が主体的に動く趣味は非常に良いということが言われています。趣味は何でも良いのですが、いま脳科学で1番良いと言われてるのは楽器演奏です。これは単に指を動かすだけではありません。楽譜を見る、覚える、五線譜に書いてあることを理解する、その通りに弾く、で空間認知リズムを一定に整える楽器というのは非常に脳を使います。
でも、もし運動が嫌いで、楽器も絶対自分は嫌だっていう方がいらっしゃるとすれば、もっと簡単なことがあります。それは会話をすることです。私たちが会話するというのは単に言葉をベラベラ喋るわけではなくて、常に相手の表情とか仕草とか声の抑揚を見ながら相手は今何を考えているのか、じゃあ、自分は何を喋れば良いのか、常に会話をしながら、表情、認知、感情、言葉、共感性、社会性、脳のもういろいろなところを使って会話をします。ですから、会話はすごくいいんです。現に社交性が高い方、あるいはよく社会に出られる方々というのは脳がかなり健康に保たれるということが分かっています。その一方で、社会的に孤立してる方々は認知症リスクが明らかに高まります。社会的孤立というのは独居ということではありません。たとえ独居をしていても普段会話ができる方が周りにいるかどうか、これに尽きます。たとえ独居でもご近所、ご家族、ご友人、周りに会話ができる方がいらっしゃればあまり問題ないのです。逆に、ご家族と一緒に住んでいても殆ど会話がないよっていうのが問題です。ですから、いろいろな場で会話をするというのは実は大変素晴らしいことです。コミュニケーションをできるだけ多く行うというのは、楽器が弾けなくても運動できなくても関係ありませんので、やはりたくさん会話をするというのは非常に有効です。以上のように、運動、趣味、会話は非常に素晴らしいのですが、他にもいくつかありますので簡単にお話をします。
まず、食事ですね。ここで大事なことは、よくテレビでこれを食べると良いとかありますけど、だからといってそれを食べ過ぎると逆に脳に良くないこともあります。本質は何かというと、最近いろいろな研究から分かってきたのは腸と脳の相関です。腸脳相関です。特定のものばかり食べると腸内細菌叢の多様性が下がります。それが認知機能を下げる方向に働きます。逆にいろいろな品目を多く食べれば食べるほど腸内細菌叢が豊かになり、それが脳の健康に良いと言われてます。ということで、最近はこれを食べると良いではなくて、食事のスタイルが重要です。具体的に言うと、和食や地中海食と呼ばれるものです。肉よりは魚介類を中心にする。そして野菜果物あるいはオリーブオイルあるいは大豆、こういう和食とか地中海食と呼ばれるものをメインで食べるというのが非常に良いということが分かっています。
もう1つ大事なことは睡眠です。私たちは何のために寝るのかというと、当然疲れを取るために寝ますが、脳科学的に見ると睡眠って実はもっと深いんです。私たちが寝る理由は物を覚えるためなのです。記憶は睡眠で固定されるんです。もし皆様の中で、試験勉強を徹夜で、一夜漬けでやった、やったとするとその方は多分点が取れなかったんじゃないかと思います。寝ないと記憶されないのです。もう1つ睡眠には大きな理由があります。これは脳の中の老廃物を洗い流すのです。寝ることでアルツハイマー型認知症の原因物質であるアミロイドベータという異常なタンパク質を脳から洗い流します。そのためには、おおよそ 6 時間程度は寝るのが良いと言われています。世の中にはショートスリーパーという方は実は殆どいないと言われていまして、自分は短時間睡眠でも大丈夫だという方々は意外と認知機能の落ちるのが早いということです。可能な限り寝た方が良いです。ただ、ある程度年をとると寝づらいというか、中途覚醒が増えるということもあります。こういう場合は、日中の活動量、運動量をちょっと増やすだけでも睡眠の質はぐっと深くなります。
もう1つ大事な問題があります。これはおそらく皆さん方あまり聞いたことがないと思いますが、主観的幸福感、つまり、ささやかながら日々楽しいなとか幸せだとか感じること、これが実はすごく大事だということが言われています。なんとなく楽しいなとか幸せだと感じるのは、単にワクワクするだけじゃなくて様々な疾患のリスクも下げるということが言われてます。ではどうやったら幸福を感じるかというのは決して簡単ではありません。脳科学や心理学で言われていまして、1つはやはりいろいろな方と会話をすることで人は幸せを感じます。会話って情報のやり取りだけじゃなくて気持ちのやり取りでもありまして、自分の気持ちを相手に理解してもらった時、相手の気持ちを自分が理解できた時、そういう時に人は幸せを感じると言われています。もう1つ挙げると、利他的活動です。誰かに対して何かサポートをする。ちょっと席を譲るとか、ちょっと物を持つとか、何かで困ってる方にちょっとサポートする。そういう利他的な行為というのが実は主観的幸福感も高めると、人のために何かやるとなんか自分も気持ちが良くなる、これがすごく大事だと言われています。別に被災地のボランティア活動じゃなくていいんです。日々のちょっとしたところで、何か人のためにやるとこれだけでも実は非常に良いのです。
他にもあります。何かというとノスタルジー、昔を思い出すことです。昔を思い出すというのは、認知症の方が昔のことを何度も言う。そういうことではありません。私たちがちょっと昔のことを思い出すと、実は私たちの幸福感を高めることが分かっています。脳の報酬系と言われますが、例えば子供の頃に住んでいた家をちょっと思い出したとします。もちろん、仙台のどこどことか、あそこのこんな家に住んでいたなとかそういうことを思い出しますが、それだけじゃないのです。そういえばここでお兄ちゃんとこんな話したとか、お母さんと僕のお話をしたとか、昔のいろいろな物の記憶、場所の記憶というのは、だんだん人の記憶に繋がることになります。昔の曲を聴くと、この曲懐かしいなと思うだけじゃなくて、そういえばこの曲っていつ誰々と聞いたよなと、あいつらは今どうしているかなみたいな感じで。懐かしさというのは、実は人と人との温かい繋がりを想起するということが言われています。こうやって幸福感を高めると認知症のリスクが下がると言われています。
脳を健康に保つための対策をいろいろご紹介してきましたが、その他にも例えば仙台市民を対象に、大人になってから楽器の演奏を再開したときの脳や体の健康状態を研究するプロジェクトとか、これまで全く絵を描いたことがない人にタブレットを使ったデジタルアートに挑戦してもらって、これが評判が良かったのでベンチャー企業を立ち上げるとか、また、皆様ご存じのグーグルがAIを使って脳の健康を保とうというプロジェクトを進めており、それに我々の研究室も参加して、先ほどのノスタルジーとAIを駆使した「街中ラボ」の具体化に向けて今動いています。こうやって AI の力とかビジネスの力とかいろいろなものを組み合わせて、脳の健康維持という大きな目標に向かって歩を進めています。
以上でございます。ご清聴ありがとうございました。
